会話体
これは内容にかかわってくることなので、それほど求めるわけではありませんが、会話を多くすることは読みやすくするコツでもあります。以下を参照してください。
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会話なし
私はバチ子に猫を拾ったという話をした。その猫の目が綺麗だと付け加えると、バチ子は少し対抗意識を燃やしたみたいだったけれど、やっぱり私は気が弱いから、そんな風に比較したことが悪かったのかな、などと気に病んでしまう。バチ子はとてもつまらなそうに見えた。もしかしたら、煙草を探しているのかもしれないと思い、私はさっき彼女をおとしめたことを詫びるような気持ちで、セーラムの箱を差し出した。そこから煙草を取る彼女の指はところどころささくれていて、なんだかそれが痛ましかった。
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会話あり
「私ね、こないだ猫拾ったの。すごい綺麗な目をしてるの」
「私より?」
「うん。バチ子も綺麗だけど、それよりもっと」
「ふうん」
バチ子はつまらなそうに呟くと、なにかを探すように視線を巡らせた。
「吸う?」
私はセーラムの箱を取り、差し出した。そこから煙草を一本抜いていくバチ子の指は、ところどころささくれていた。
以上の文章は、同一の場面ですが、語られている内容はほとんど一緒です。ただ、左は会話、右は地の文が主となっています。こうした違いについて、好みの差もあるでしょうが、左の方が多くの読者に受け入れられるというのはほとんど黄金律です。そもそもこの内容がつまらない、という批判は聞かないことにしておきましょう。
皆さんはテレビを見るでしょうか。最近、クイズのバツゲームなどで、「負けた人は料理を食べられない」というのがすごく多いですね。なんでこんなものが、と思う向きもあるでしょうが、あの場面は必ず視聴率が上がるらしいです。芸能人が「おいしい!」とか「口の中で融けた!」とか言っているのを沢山の人が見たがっていると思うのは、末恐ろしいことではありますが、これは統計的事実らしいです。
文章でも同じことが言えるでしょう。恐ろしいかな、会話が好きな人は絶対的に多いのです。創作上、なんとしても譲れないというのでなければ、会話を増やすことをオススメします。
これは会話を多くすることの副産物ですが、結果的に余白が多くなります。
また、単純に技術的問題として、内面描写の方が書きやすいため、慣れていないと内面描写ばかりしてしまうということもあります。物語の展開を内面描写にばかり託してしまうと、なんだか「昨日見た夢の話」を聞かされているような印象が生まれてしまいます。小説を読み進めるためのモチベーションを語り手の独白にばかり託すのではなく、登場人物の会話や何気ない情景描写などに織り交ぜることは、古典的ですが、いまだ有効な技術です。
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